浦添市文化財調査報告書
前
ま え田
だ・ 経
き ょ う塚
づ か近
き ん世
せ い墓
ぼ群
ぐ ん10
前田真知堂 B 丘陵 (2)
― 都市計画街路国際センター線及び沢岻石嶺線工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 ―
浦添市文化財調査報告書
前
ま え田
だ・ 経
き ょ う塚
づ か近
き ん世
せ い墓
ぼ群
ぐ ん10
― 都市計画街路国際センター線及び沢岻石嶺線工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書 ―
沖縄県 浦
う ら添
そ え市
し教育委員会
2017 (平成 29) 年 9 月
巻頭 3 13 号墓の蔵骨器安置状況
序 文
本報告書は、字前田と経塚にまたがる浦添南第一地区土地区画整理事業の実施に伴い、浦添市都市 建設部からの委託を受けて平成 14 年度に実施した前田 ・ 経塚近世墓群真知堂B丘陵の発掘調査の成 果をまとめたものです。
前田・経塚近世墓群は、浦添市字前田と経塚に分布する丘陵に横穴を掘り込んで造られた掘込墓を 主とする墓群です。これまでの発掘調査では 1,000 基を超える墓が発見されており、調査成果によ るとこれらの多くは近世に造営されたことがわかっています。
この近世の墓には、「ジーシガーミ」と呼ばれる蔵骨器が安置されており、その中に納められた人 骨を分析することで、被葬者の性別や年齢、顔立ち、体格、病気など様々な生活の履歴を知ることが できます。また、多くの蔵骨器には被葬者名や社会的地位、洗骨・没年月日等を記した「ミガチ(銘書)」 が墨書きされており、被葬者をとおして当時の歴史的情報を得ることができます。このことは、文献 資料が少ない沖縄において近世の人や家族の歴史にとどまらず、当時の浦添の歴史、ひいては沖縄全 体の歴史を明らかにできる歴史資料であるともいえます。調査したB丘陵では、54 基の墓が確認さ れておりますが、その中には沖縄戦の一端を窺い知ることができる遺構も確認されております。検出 された壕跡や避難時に利用された墓の様子等から、激戦地となった浦添前田地域の戦時下の様子が垣 間見える貴重な発見もありました。
本報告書が沖縄・浦添の近世から近代を通じた葬制・墓制、また、沖縄戦を知る上で、市民をはじ め多くの方々に活用され、文化財の保護と活用に一層の関心を持って頂けるものになれば幸いに存じ ます。
末尾になりますが、現地調査および資料整理にあたってご指導・ご協力を賜りました方々、並びに 事業実施にあたりご協力を賜りました方々に深く感謝申し上げます。
平成 29 年 9 月
例 言
.本報告書は、都市計画街路国際センター線及び沢岻石嶺線工事に伴う埋蔵文化財「前田 ・ 経 近世墓群」真知堂地区の発掘調査の成果をまとめたものである。
.「前田 ・ 経塚近世墓群」は、沖縄県浦添市の字前田から字経塚の丘陵一帯に所在する墓群である。 今回はその内、字前田の真知堂に所在する墓群について「前田真知堂B丘陵(1)」と同一丘陵 であることから「前田真知堂B丘陵(2)」として報告を行う。なお、発掘調査地点の所在地は 沖縄県浦添市字前田 1122 番を中心とする丘陵一帯である。
.発掘調査は、当該建設事業を所管する浦添市都市建設部区画整理課からの委託を受け、浦添市 教育委員会文化課が実施した。
.発掘調査に係る現場作業は、平成 14 年度に実施した。調査期間は平成 15 年 2 月 7 日から同 年 3 月 24 日である。調査の実施にあたっては、株式会社中部日本鉱業研究所(現:株式会社アー キジオ パシフィック支店)へ委託して行った。
.資料整理作業は浦添市教育委員会文化課が実施し、職員及び臨時・嘱託職員がこれにあたった。
.出土遺物の実測・トレース等については、蔵骨器を株式会社中部日本鉱業研究所へ、副葬品を 株式会社イビソクへ委託して行った。
.本書の執筆は安和吉則、編集は志良堂恵が行った。なお、資料の整理にあたり、下記の方々に 協力をいただいた。また、陶磁器については新垣力氏(沖縄県立埋蔵文化財センター)より指導 助言をいただいた。記して感謝申し上げる。
新里まゆみ(平成 15 年度資料整理:銘書) 北條真子(平成 16 年度資料整理:人骨)
.本書の編集にあたっては、墓別に本文、遺構の実測図・表・出土遺物、写真などを記した。
.掲載遺物は、原則として遺物の種別に応じて一連番号を付し、遺物番号とした。従って遺物番 号と図版・実測図・観察表の番号は一致する。
.本書に表示した基準高はすべて海抜高を用い、メートル単位で表した。
.座標は日本測地系を用いた。
.遺構図に記した方位は、地形図が座標北を、各墓の遺構平面図は磁北を示す。
.遺構断面図を作成した位置については、遺構平面図に横断ラインで示した。 1
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.地形測量図については、1/500 の縮尺で掲載している。
.遺構図については 1/20 を基本スケールとする手書き実測で作成し、1/60 または1/80 の縮 尺で掲載している。一次葬人骨についは 1/10 の縮尺で掲載している。
.遺物実測図の縮尺については、蔵骨器は 1/ 8で掲載し、その他の遺物は大きさに応じて 1/3 から原寸大までを使い分けた。
.本書で用いた墓の各部名称については凡例1のとおりである。
.蔵骨器の各部名称と計測位置などは、浦添市教育委員会刊行の浦添市文化財調査研究報告書第 25 集『伊祖の入め御拝領墓の厨子甕と被葬者』(1997 年)及び『比嘉門中墓の家族史』(2006 年) を参考にしている。詳細は凡例2・3のとおりである。
.本調査に係る写真、実測図など一切の調査記録は、浦添市教育委員会において保管している。 14.地形測量図については、1/200の縮尺で掲載している。
15.遺構図については1/20を基本スケールとする手書き実測で作成し、1/60の縮尺で掲載している。 一次葬人骨についは1/●の縮尺で掲載している。
16.遺物実測図の縮尺については、蔵骨器は1/6で掲載し、その他の遺物は大きさに応じて1/3から 原寸大までを使い分けた。
17.本書で用いた墓の各部名称については凡例1のとおりである。
18.蔵骨器の各部名称と計測位置などは、浦添市教育委員会刊行の浦添市文化財調査研究報告書第25集 『伊祖の入め御拝領墓の厨子甕と被葬者』(1997年)及び『比嘉門中墓の家族史』(2006年)を参考に している。詳細は凡例2のとおりである。
19.本調査に係る写真、実測図など一切の調査記録は、浦添市教育委員会において保管している。
凡例1
墓の各部名称と計測位置
・蔵骨器の有無は、墓室での有無を意味する。また、墓室に蔵骨器が無い墓を「空き墓」と称している。
・表中の「 - 」 記号は不明または計測不能を意味する。
・墓口の方位は、磁北を表す。主軸方向は墓室奥壁を背にして墓口方向を見ている。 墓室及び面積
羨道 サンミデー
墓口
墓道 墓庭
庭囲い
高 さ 【平面】
奥行き
幅
【断面】
墓 口 の 方 位 汁ヒラシ
1番棚 2番棚 3番棚
左棚 右棚
a 墓室奥行き a b
c
b 墓室最大高
c 墓室最大幅 袖石
14
15
16
17
18
19
・蔵骨器の有無は、墓室での有無を意味する。また、墓室に蔵骨器が無い墓を「空き墓」と称している。 ・表中の「 ‐ 」記号は不明または計測不能を意味する。
・蔵骨器の各部名称と計測位置(上段:ボージャー形、下段:マンガン釉甕形)
体
部
高
器
高
器
高
口径
底径 胴部径
つまみ
つまみ台
横帯1
胴部文様
胴部横帯 マドマド枠
外径 外径 内径
体
部
高
器
高
内径
口径 内径
器
高
底径 胴部径
屋門 胴部文様帯
肩部文様帯
胴下部文様帯
玉飾 屋根 窓
柱貫
柱
銘書面 つまみ つまみ台
鍔 かえり 横帯1
横帯2
横帯3
・窓、屋門の部位名称と計測位置
・遺物の各部名称と計測位置は以下のとおりである。
寄棟形 平葺形 平葺形 唐破風形 唐破風形
1方2方 1方4円 1方2方 1方 1方2方
瓦屋形 唐破風形 位牌形 アーチ形
目 次
巻頭図版
序文・例言・凡例・目次
報告書抄録
第 1 章 はじめに
第1節 発掘調査に至る経緯と期間
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
第2節 調査体制
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
第2章 遺跡の位置と環境
第1節 浦添市の地理的環境
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3
第 2 節 遺跡の地理的環境
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4
第3章 発掘調査の概要
第1節 調査の方法
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9
第2節 層序と遺構
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9
第4章 調査の成果
第5章 総括
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 110第1節 01 号墓・脇墓 1・脇墓 2
・・14
第2節 02 号墓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・21
第3節 06 号墓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・37
第4節 07 号墓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・50
第5節 09 号墓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・59
第6節 10 号墓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・63
巻頭写真
第 1 図 浦添市と遺跡の位置図 ・・・・・・・・・・・・・3 第2図 字前田・経塚の水系区分と小字区分図 ・・・4 第 3 図 調査地区の位置図 ・・・・・・・・・・・・・・・・6 第4図 都市計画街路と調査地区の位置図 ・・・・・・7 第5図 各墓の位置図 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8 第 6 図 1号墓 平・断面 ・・・・・・・・・・・・・・・・15 第 7 図 1号墓 一次葬人骨出土状況 ・・・・・・・・・16 第 8 図 1号墓 蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・18 第 9 図 1号墓 出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・・・18 第 10 図 2号墓 平・断面 ・・・・・・・・・・・・・・・22 第 11 図 2号墓 蔵骨器(1) ・・・・・・・・・・・・・28 第 12 図 2号墓 蔵骨器(2) ・・・・・・・・・・・・・29 第 13 図 2号墓 蔵骨器(3) ・・・・・・・・・・・・・30 第 14 図 2号墓 出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・・35 第 15 図 6号墓 平・断面 ・・・・・・・・・・・・・・・39 第 16 図 6号墓~ 8 号墓 平・断面 ・・・・・・・・・40 第 17 図 6号墓 蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・・・・42 第 18 図 6号墓 出土遺物(1) ・・・・・・・・・・・45 第 19 図 6号墓 出土遺物(2) ・・・・・・・・・・・46 第 20 図 6号墓 出土遺物(3) ・・・・・・・・・・・47 第 21 図 7号墓 平・断面、蔵骨器配置 ・・・・・・51 第 22 図 7号墓 蔵骨器(1) ・・・・・・・・・・・・・55 第 23 図 7号墓 蔵骨器(2) ・・・・・・・・・・・・・56 第 24 図 7号墓 出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・・58
挿図目次
巻頭1 遺跡全景(B丘陵北斜面)北西側から 巻頭2 遺跡全景(B丘陵北斜面)北側から 巻頭3 13 号墓の蔵骨器安置状況
巻頭4 11 号墓の蔵骨器検出状況
表目次
第1表 遺構一覧表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10 第2表 出土遺物一覧表 ・・・・・・・・・・・・・・・・・12 第3表 墓室平面形の類型 ・・・・・・・・・・・・・・・13 第4表 1号墓蔵骨器の観察一覧表 ・・・・・・・・・17 第5表 1号墓出土遺物の観察一覧表 ・・・・・・・・19 第6表 -1 2号墓蔵骨器の観察一覧表 ・・・・・・・24 第6表 -2 2号墓蔵骨器の観察一覧表 ・・・・・・・25 第6表 -3 2号墓蔵骨器の観察一覧表 ・・・・・・・26 第6表 -4 2号墓蔵骨器の観察一覧表 ・・・・・・・27
第 25 図 9号墓 平・断面、蔵骨器配置 ・・・・・・60 第 26 図 9号墓 蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・・・・61 第 27 図 9号墓 出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・・62 第 28 図 10 号墓 平・断面、蔵骨器配置 ・・・・・64 第 29 図 10 号墓 出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・66 第 30 図 10 号墓 蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・・・67 第 31 図 11 号墓 平・断面、蔵骨器配置 ・・・・・70 第 32 図 11 号墓 出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・73 第 33 図 11 号墓 蔵骨器(1) ・・・・・・・・・・・・74 第 34 図 11 号墓 蔵骨器(2) ・・・・・・・・・・・・75 第 35 図 53 号墓 平・断面、蔵骨器配置 ・・・・・78 第 36 図 53 号墓 出土遺物・蔵骨器(1) ・・・・・80 第 37 図 53 号墓 蔵骨器(2) ・・・・・・・・・・・・81 第 38 図 13 号墓 平・断面、蔵骨器配置 ・・・・・84 第 39 図 13 号墓 蔵骨器(1) ・・・・・・・・・・・・86 第 40 図 13 号墓 蔵骨器(2) ・・・・・・・・・・・・87 第 41 図 13 号墓 出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・89 第 42 図 14 号墓 平・断面、蔵骨器配置 ・・・・・91 第 43 図 14 号墓 蔵骨器(1) ・・・・・・・・・・・・94 第 44 図 14 号墓 蔵骨器(2) ・・・・・・・・・・・・95 第 45 図 14 号墓 出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・95 第 46 図 17 号墓 平・断面 ・・・・・・・・・・・・・・98 第 47 図 17 号墓 蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・・102 第 48 図 17 号墓 出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・105
図版 1 1号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16 図版 2 1号墓 蔵骨器(1) ・・・・・・・・・・・・・・19 図版 3 1号墓 蔵骨器(2) ・・・・・・・・・・・・・・20 図版 4 1号墓 出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・・・20 図版 5 2号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21 図版6 2号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23 図版7 2号墓 蔵骨器(1) ・・・・・・・・・・・・・・31 図版8 2号墓 蔵骨器(2) ・・・・・・・・・・・・・・32 図版9 2号墓 蔵骨器(3) ・・・・・・・・・・・・・・33 図版 10 2号墓 出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・・・35 図版 11 3号墓 蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・・・・36 図版 12 6号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・37 図版 13 6号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・38 図版 14 6号墓 蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・・・・42 図版 15 6号墓 出土遺物(1) ・・・・・・・・・・・・48 図版 16 6号墓 出土遺物(2) ・・・・・・・・・・・・49 図版 17 7号墓の位置 ・・・・・・・・・・・・・・・・・50 図版 18 7号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・52 図版 19 7号墓 蔵骨器(1) ・・・・・・・・・・・・・57 図版 20 7号墓 蔵骨器(2) ・・・・・・・・・・・・・58 図版 21 7号墓 出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・・・58 図版 22 9号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・59 図版 23 9号墓 蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・・・・61 図版 24 9号墓 出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・・・61
図版 25 10 号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・63 図版 26 10 号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・64 図版 27 10 号墓 出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・・66 図版 28 10 号墓 蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・・・68 図版 29 11 号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・69 図版 30 11 号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・70 図版 31 11 号墓 出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・・73 図版 32 11 号墓 蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・・・76 図版 33 53 号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・77 図版 34 53 号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・78 図版 35 53 号墓 出土遺物・蔵骨器 ・・・・・・・・・82 図版 36 13 号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・83 図版 37 13 号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・84 図版 38 13 号墓 蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・・・88 図版 39 13 号墓 出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・・89 図版 40 14 号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・90 図版 41 14 号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・91 図版 42 14 号墓 出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・・95 図版 43 14 号墓 蔵骨器 ・・・・・・・・・・・・・・・・96 図版 44 17 号墓の位置 ・・・・・・・・・・・・・・・・・97 図版 45 17 号墓 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・99 図版 46 17 号墓 蔵骨器(1) ・・・・・・・・・・・・102 図版 47 17 号墓 蔵骨器(2) ・・・・・・・・・・・・103 図版 48 17 号墓 出土遺物 ・・・・・・・・・・・・・・105 第 14 表 9号墓出土遺物の観察一覧表 ・・・・・・・62
第 15 表 -1 10 号墓蔵骨器の観察一覧表 ・・・・・・65 第 15 表 -2 10 号墓蔵骨器の観察一覧表 ・・・・・・66 第 16 表 10 号墓出土遺物の観察一覧表 ・・・・・・66 第 17 表 -1 11 号墓蔵骨器の観察一覧表 ・・・・・・71 第 17 表 -2 11 号墓蔵骨器の観察一覧表 ・・・・・・72 第 17 表 -3 11 号墓蔵骨器の観察一覧表 ・・・・・・73 第 18 表 11 号墓出土遺物の観察一覧表 ・・・・・・73 第 19 表 -1 53 号墓蔵骨器の観察一覧表 ・・・・・・79 第 19 表 -2 53 号墓蔵骨器の観察一覧表 ・・・・・・80 第 20 表 53 号墓出土遺物の観察一覧表 ・・・・・・82
第 21 表 -1 13 号墓蔵骨器の観察一覧表 ・・・・・・85 第 21 表 -2 13 号墓蔵骨器の観察一覧表 ・・・・・・86 第 22 表 13 号墓出土遺物の観察一覧表 ・・・・・・89 第 23 表 -1 14 号墓蔵骨器の観察一覧表 ・・・・・・92 第 23 表 -2 14 号墓蔵骨器の観察一覧表 ・・・・・・93 第 24 表 -1 17 号墓蔵骨器の観察一覧表 ・・・・・100 第 24 表 -2 17 号墓蔵骨器の観察一覧表 ・・・・・101 第 25 表 17 号墓出土遺物の観察一覧表 ・・・・・104 第 26 表 -1 出土人骨の観察一覧表 ・・・・・・・・106 第 26 表 -2 出土人骨の観察一覧表 ・・・・・・・・108 第 27 表 遺構観察一覧表 ・・・・・・・・・・・・・・・111
第 1 章 はじめに
第1節 発掘調査に至る経緯と期間
前田 ・ 経塚近世墓群は本市の字前田、経塚にまたがる総面積 82.4 ヘクタールの土地区画整理事業 地内に所在している。同事業は本市が主体となり、市街地交通体系整備及び都市形成のテーマである 『緑の骨格』形成上重要な地域と位置づけられ、市の急速な人口増加に伴い市街地が急速に進展する 地区として平成 4 年度から土地区画整理事業に着手した。平成 10 年に仮換地指定を行い、良好な市 街地の形成を図る街づくりを進めるために本格的な工事の着手となった。
当該事業の実施に伴い市教育委員会は、平成 6 ~ 9 年度にかけて遺跡詳細分調査を実施し、その 結果、同事業地内に 1,000 基を超える近世の墓が所在するものと推定された。
同事業において、小字真知堂には都市計画街路国際センター線及び交差する沢岻石嶺線の道路工事 が計画されていたため、市教育委員会が平成 14 年度に確認調査を実施し、B丘陵で 50 基余、C 丘 陵で約 30 基、両丘陵で合計 80 基余の古墓の所在を確認した。この調査結果を受けて市都市建設部 区画整理課と市教育委員会文化課はその取扱いについて協議し、平成 14 年度は工事計画に係る 15 基について記録保存による発掘調査を実施することとなり、平成 14 年 8 月 20 日付浦都南一第 20 号により発掘調査の依頼が提出された。これを受けて、市教育委員会は平成 14 年 8 月 29 日付浦教 文第 126 号にて調査を実施する旨の回答を行った。このような経緯を経て、平成 14 年 9 月 24 日 付で市と教育委員会の間に業務委託契約が締結された。発掘調査は、平成 15 年 2 月 7 日から同年 3 月 24 日で実施し、株式会社中部日本鉱業研究所(現:株式会社アーキジオ パシフィック支店)へ委 託して行った。
第2節 調査体制
調査体制は以下のとおりである。
調査主体 浦添市教育委員会 教育長 大盛 永意 (平成 14・16 年度) 〃 〃 〃 西原 廣美 (平成 17 ~ 19・21 年度) 〃 〃 〃 池原 寛安 (平成 28 年度)
〃 〃 〃 嵩元 盛兼 (平成 29 年度)
事業所管 浦添市教育委員会 教育部長 与座 盛一 (平成 14 年度) 〃 〃 文化部長 安里 進 (平成 16 ~ 18 年度) 〃 〃 〃 宮里 親一 (平成 18 年度)
〃 〃 〃 下地 安広 (平成 19・21・28 年度) 〃 〃 〃 山田 勉 (平成 29 年度)
事業総括 浦添市教育委員会 文化課長 當間 眞榮 (平成 21 年度) 〃 〃 〃 松川 章 (平成 28・29 年度)
事業調整 〃 文化課 文化財係長 松川 章 (平成 14・16・17 年度) 〃 〃 〃 宮里 信勇 (平成 18・19・21 年度) 〃 〃 〃 渡久地政嗣 (平成 28・29 年度)
事業事務 〃 文化課 文化財係主任 宮城 増美 (平成 14・16 年度) 〃 〃 〃 安里 静子 (平成 17 年度) 〃 〃 〃 宮城 キミ (平成 18・19 年度) 〃 〃 〃 石川美代子 (平成 21 年度)
調 査 員 〃 文化課 文化財係主任 安和 吉則 (平成 14 ~ 18・28・29 年度)
資料整理臨時職員
飯沼由紀子 池宮城聡子 石原泉 上江洲才洋 上間安彦 浦崎祐子 兼島博志 具志みどり 古波蔵保直 城間恵美子 城間孝子 陣内優 津嘉山理恵 照屋葉史 照屋芳美 名嘉祥子 濱田興明 比嘉尚輝 比嘉美智子 比嘉幸枝 外間一成 宮城かの子 (五十音順)
調査協力
志良堂恵 鈴木悠 玉那覇有登
発掘作業等委託
株式会社中部日本鉱業研究所(現:株式会社アーキジオ パシフィック支店)
遺物実測等業務委託
第2章 遺跡の位置と環境
第1節 浦添市の地理的環境
前田 ・ 経塚近世墓群が所在する浦添市は、沖縄本島中南部の西海岸に位置し、南側に県都である那 覇市、東側に西原町、北側に宜野湾市が隣接する。西側は東シナ海に面しており、遠くには慶良間 諸島を望むことができる。市域は東西 8.4㎞、南北 4.6㎞、総面積は平成 23 年 1 月 4 日に西洲 3 丁 目の都市機能用地 (0.16k㎡ ) と緑地 (0.02k㎡ ) の埋め立てによって 19.27k㎡となっている。人口は 113,578 人、48,100 世帯(平成 29 年3月末時点)を擁する市である。市の西部には国道 58 号線、 中央部に県道 330 号線、東部に沖縄自動車道が南北に通っており、島の南北を結ぶ各主要交通路が 縦貫する。海浜部は、米軍施設の牧港補給地区(面積 273.7ha)が所在し市面積の 14.3%を占めている。 市の地形は、標高約 40 m前後でほぼ二分され、東部は起伏の小さな丘と浅い谷が連なる波浪状 の丘陵地、西部は東シナ海に続く東高西低の地形である。北部には、北西-南東方向に標高 120 ~ 140 mの浦添断層崖が形成されている。本市の最高点は、字仲間から前田に所在する国指定史跡浦 添城跡内の 138.4 mである。それらの丘陵を分水嶺に北流する牧港川、シリン川、西流する小湾川、 安謝川の河川はいずれも東シナ海へ注いでいる。海岸線は沖合にかけて、豊かなサンゴ礁が発達して いる。
本市に分布する地層は、下位から上位に島尻層群、琉球層群、海浜堆積地及び沖積層に大別するこ とができる。島尻層群は、本市の基盤を形成し、市の中央部から南東部に広く露出するが、西部や北 部では、琉球層群が広く分布する。沖積層や海浜堆積物は四本の河川の河口付近や海岸沿いにみるこ とができる。植生については、本市全域が去る大戦の激戦地であったために、ほぼ焼け野原の状態に なり、現在残っている植被は二次林となっている。気象は隣接する那覇市において年平均気温 23.1 度、 降水量 2040.8 ミリメートルで、冬は北東、夏は南東の季節風が卓越する。気温的には亜熱帯で降水 量は多く、特に梅雨期や台風期に多い。風は東アジア季節風帯に属している。
第 1 図 浦添市と遺跡の位置図
1km 前田・経塚近世墓群
分布地域
浦添市 沖縄本島
0 宜野湾市
西原町 国道58号
国道330 号
沖縄 自動車道路
県道241号線
那覇市
第 2 節 遺跡の地理的環境
前田 ・ 経塚近世墓群は、浦添市の南東に位置する字前田と那覇市に隣接する字経塚一帯の丘陵地に 分布する墓群の総称である。この地域は、小湾川と安謝川の上流域にあたり、その分水嶺にまたがる 地域であり、一帯の地形はそれに由来する幾筋もの狭く浅い谷底低地と尾根から構成される。そのた め、土地の起伏に富む地形となっており、幾つもの舌状の小丘が入り組む複雑な地形が形成されてい る。これらの表層の地質は、豊見城層(小禄砂岩層)で構成されている。この砂岩は固結度が低い細 粒の砂岩層であり、方言名で「ニービ」と呼ばれている。この地域の谷筋は、尾根の森を水源涵養林 として、古くから水田や畑として開発されてきたが、その斜面にはニービを掘り抜いた多くの掘込墓 (方言名:フィンチャーバカ)が形成されている。
現在、区画整理事業が進められる当墓群が所在する丘陵地一帯は、地形状小湾川上流の安波茶川水 系と安謝川上流の沢岻川水系に分かれ、現在の行政区
域では字前田と字経塚に属している。この地区の小字は、 安波茶水系に属する山川原、前田原、前原、東前田原、 西前田原、黒島原、真和志堂原、真知堂、西小島原、南 小島原と沢岻水系に属する子ノ方原、上平良大名原、下 平良大名原の 13 小字からなる ( 第2図 )。かつては、安 波茶川水系の全ての小字と沢岻川水系の最上流域の子ノ 方原が字前田に属し、沢岻川水系の上・下平良大名原が 字沢岻に属していたが、大正 5 年の字経塚の新設にあた り、字沢岻・字前田・字安波茶の小字をそれぞれ割いて 設立した時より、現在の帰属になっている。
墓は、西前田原、東前田原、真和志堂原、前原、真知堂、 南小島原、下平良大名原、子ノ方原に主に分布し、特に 真知堂に集中している。今回報告を行う墓群の所在する 丘陵は、真知堂の北部に位置する。調査範囲は前田真知 堂 B 丘陵の中央部の北側斜面であり、その斜面部に横穴 を掘り込んだ墓が 50 基余が確認された。
第3節 遺跡周辺の歴史的環境
第2図 字前田・経塚の水系区分と小字区分図
浦添市が所在する沖縄本島中南部の遺跡分布の特徴としては、貝塚時代後期には海浜部に遺跡群が 形成され、内陸部の遺跡は少ない。グスク時代には、畑作や稲作が行われるようになり、遺跡も内陸 部の石灰岩台地周辺に展開するようになるが、前田 ・ 経塚地区のような石灰岩がなく谷底低地が発達 した地域は、グスク時代遺跡の分布が希薄な地域であるといわれている。
が登場する。この時に現在の経塚集落には、単独の村名はなく、安波茶・前田・沢岻の各村の一部で、 首里から移住してきた士族が構えた屋取集落があった。また、『琉球国高究帳』(17 世紀中頃)には、 各村の田畠の石高が記されているが、浦添間切全体では、水田の石高が全体の 49.4%でほぼ田畠半々 であるが、前田村は 88.3%と水田が卓越していたことがわかる。これまで確認されている前田 ・ 経 塚近世墓群の墓の所有者については、概ね北側の前田一帯の墓は、前田の人のものが多く、南側の経 塚一帯の墓は、首里の人の墓が多いというデータがある。前田 ・ 経塚近世墓群の年代は古いものでは 1700 年頃の銘書がある蔵骨器もみられることからこの頃には墓地としての利用が始まったものと考 えられる。その後、近世・近代・現代を通じて造営され続け、墓も横穴墓からコンクリート製の墓へ と変化した。現在も区画整理に伴う墓の集約(墓地街区)というかたちでコンクリート製や石製の墓 が造営され続けている。
また、去る沖縄戦では 1945(昭和 20)年 4 月に沖縄本島中部西海岸に上陸した米軍は、東海岸 に至り本当を南北に分断した後に南北両方向に侵攻したが、防衛する日本軍は主要陣地帯を中南部に 集中させていたため、主戦場となったそれらの地域では各所で戦闘が繰り広げられた。特に宜野湾の 嘉数、浦添の前田高地(浦添城跡)では激戦が展開され、多くの兵士や民間人が倒れていった。前田 高地の南側に位置する前田 ・ 経塚は軍司令部(首里)との中間地点にあるため、多くの部隊が戦闘の 経過と共に入れ替わり駐留していたようである。その際に丘陵斜面に坑道式の壕を構築することもあ れば、近世及び近代に造営された墓を転用することもあったようで、これまでの調査でそういった遺 構が確認されている。また、墓は民間人の避難場所にもなっており、これらの墓については多くの証 言が得られている。
戦後は、昭和 52 年頃に南第一地区の字前田に新興住宅地(グリーンハイツ)が造営され、近年は 区画整理事業が進行し、かつての景観は急速に失われている。
《 引用・参考文献 》
浦添市教育委員会 1980『 うらそえの文化財 』
浦添市史編集委員会 1981『 浦添市史 第二巻 資料編 1 』浦添市
浦添市史編集委員会 1984『 浦添市史 第五巻 資料編 4 戦争体験記録 』浦添市 浦添市史編集委員会 1986『 浦添市史 第六巻 資料編 5 』浦添市
浦添市史編集委員会 1987『 浦添市史 第七巻 資料編 6 』浦添市 浦添市史編集委員会 1989『 浦添市史 第一巻 通史編 』浦添市
浦添市教育委員会 1998『 浦添間切前田村・沢岻村の近世墓と水田分布調査 』 浦添市教育委員会 2004『 墓からわかる家族の歴史 近世墓シンポジウム報告書 』 浦添市教育委員会 2004『 前田 ・ 経塚近世墓群-市道 111 号線埋蔵文化財発掘調査- 』 経塚自治会 2006『 字経塚史 』
-6-
第 3 図 調査地区の位置図
経塚上平良大名原
経塚下平良大名原
経塚子の方原 経塚南小島原
前田真知堂
前田真和志堂
前田東前田原 前田前原
前田西上原 前田前田原 前田西前田原
経塚西小島原
比嘉門中の墓(3号墓) N
0 500m
玉城朝薫の墓(邊土名家の墓)
県道241号線
県道153号線 グリーンハイツ
沖縄国際センター
前田小学校
比嘉門中の墓(2号墓)
区画整理事業範囲
小字境界 報告箇所
遺構確認範囲
-7-
-8-
1号墓 2号墓
3号墓 4号墓
8号墓 10号墓 11号墓 53号墓 13号墓
17号墓 14号墓 52号墓 15号墓
18号墓
25号墓 27号墓 48号墓 28号墓 31号墓 30号墓
29 号墓 49号墓 24号墓
33号墓
34 号墓
37号墓 35
号墓
54-2号墓
54号墓 55号墓
55-2号墓 号墓40 39 号墓
41号墓
42 号墓
51号墓
44号墓
号墓 22 号墓 19 16号墓
38号墓
号墓 17-2
26号墓
43号墓
号墓 23
6号墓 7号墓 9号墓
14-2 号墓
12 号墓
S = 1 / 500 21
号墓 20 号墓
X=26140 X=26160
Y=22720
Y=22700
Y=22680
Y=22660
Y=22640
X=26120
第3章 発掘調査の概要
第1節 調査の方法
調査区内の着手前の状況は、東西に伸びる丘陵の尾根を中心にリュウキュウマツやアカギ、タブノ キなどの植物群落が南北斜面地に広がっていた。本調査前に実施した範囲確認調査でこれらの自然林 を伐木・伐採すると、一帯の地表には腐葉土や崩落土が堆積しており、墓口上部が確認できるものや 崩落した墓と想定される地形上のくぼみがいくつも確認された。本調査では、表土の除去と伐根につ いてはバックホウを用いた機械掘削で行い、墓正面や庭囲いが出始めると人力掘削に切り替えて墓口 や墓庭の検出を行った。前田 ・ 経塚近世墓群の遺構は、地山である細粒砂岩の丘陵地に掘り込まれて いることから、基本的に地山面を検出することで造墓時の状況や遺構面を検出することができる。そ の結果、丘陵斜面に一段又は二段を形成しつつ横並びで墓が立地する状況が確認された。調査で確認 された墓については、東側から西側に順に番号を付し、出土遺物は墓単位にまとめて取上げた。 第1章第1節で既述のとおり事前の範囲確認調査によってB丘陵で 50 基余の墓が確認されていた。 これらの墓のうち、遺構や遺物の残存状況が良好で比較的情報量の多い 26 基の墓と、後世の攪乱な どの影響から遺構や遺物の残存状況が悪く情報量の少ない「空き墓」やそれに近い状態の 24 基の墓 であることが判明した。平成 14 年度は 26 基の墓のうち 15 基の調査を実施し、翌年度に残りの 11 基の調査を実施した。前者の情報量の多い墓については 1/20 の実測図の作成を行い、一次葬人骨は 1/5 で実測図の作成を行った。空き墓については略測図の作成を行った。写真撮影はすべての墓で適 時、調査開始から完掘まで行った。
第2節 層序と遺構
前節に記したとおり、本調査地は戦時中もしくは近現代の攪乱が著しいことが確認されたため、墓 の上部や墓前については、重機と人力による掘削によってこれらの土層の除去作業を行い、遺構面の 検出を行った。特に、南斜面に所在する墓は、戦時中に壕に利用される状況や戦後にコンクリート修 復された墓が多く確認されており、一方、北斜面では天井が崩落した墓や入口のみ埋没する状況がみ られた。天井部分が崩落している遺構については、墓室内には墓の天井部分を形成していた基層と表 層が混在して厚く堆積している状況であり、墓の入口のみが埋没した墓については、墓の内部にはほ とんど堆積土がない状態であった。このような状況であることから本調査では明確な層序関係を把握 することは適わなかった。
墓口の閉塞方法
高さ 幅 奥行 ※1 ①形状 ②材質 高さ 幅 奥行
1号墓 3c 3.15 N42°E
北東 1.25 0.6 1.5
切石組? ①方形 ②石灰岩
6.3 1.9 2.8 2.25
1号墓
脇墓1 1c
-N140°E
南東 0.9 0.6 - 不明 0.74 1.2 0.6 1.24
1号墓
脇墓2 1c
-N124°E
南東 0.7 0.6 - 不明 0.42 0.9 0.6 0.7
2号墓 6b 1.96 N47°E
北東 0.9 0.6 1.0 蓋石 ①一枚板状 ②石灰岩
6.25 1.9 2.5 2.5
3号墓 4b 1.04 N4°E
北 0.9 0.6 0.8 蓋石 ①一枚板状 ②石灰岩
3.6 1.6 1.8 2.0
4号墓 5b 1.68 N2°E
北 1.0 0.6 1.6 蓋石 ①一枚板状 ②石灰岩
7.0 2.2 2.5 2.8
6号墓 3a 2.16 N11°W
北 - 0.7 1.0 積石
②石灰岩、砂岩 5.04 - 2.8 1.8
7号墓 3a 1.32 N1°E北 0.9 0.55 1.4 不明 3.00 1.4 2.0 1.5
8号墓 3b 1.21 N30°E
北北東 1.3 0.6 1.4 積石
②石灰岩、砂岩 3.91 1.7 2.3 1.7
9号墓 1a - N25°E
北北東 - 0.7 0.7 積石
②石灰岩、砂岩 1.62
-(1.4) 1.8 0.9
10号墓 1c - N50°E
北東 0.9 0.6 -積石
②石灰岩、砂岩 1.63 1.0 0.65 2.5
11号墓 1a - N40°E
北東 - 0.55 1.2 積石
②石灰岩、砂岩 2.20
-(1.1) 2.2 1.0
53号墓 3c 1.17 N40°E
北東 0.9 0.6 1.0 積石
②石灰岩、砂岩 2.47 1.1 1.9 1.3
13号墓 3a 1.82 N33°E
北北東 1.05 0.8 0.45 積石
②石灰岩、砂岩 4.58 1.15 2.35 1.95
14号墓 1b - N36°E
北東 1.2 0.6 1.2 積石
②石灰岩、砂岩 か?
2.52 1.15 1.8 1.4
17号墓 6b 1.96 N34°W北西 0.9 0.6 1.1 積石②石灰岩、砂岩 4.84 1.8 2.2 2.2
23号墓 3a
変形 1.56
N5°W
北 - 0.6 1.4 不明 3.57
-(1.6) 2.1 1.7
※1 羨道の長さ ※2 一番棚の高さ
※3 蔵骨器の有無は、○=墓室内で原位置、△=撹乱、●=移転廃棄で区別した。 墓
番号 墓室 類型
汁ヒラシ 面積(㎡)
墓口 方位
墓口の寸法(m)
墓室 面積(㎡)
0. × ○ × △
5 ○
蓋石は墓口半分の大きさで上部は開口する。墓室内で戦争遺物 が出土。棚の高さまで埋土堆積。棚上に蔵骨器は無いが、汁ヒラ シで大量の破片と一次葬人骨を検出。庭囲い(左側)に小規模な 墓が2基(脇墓1・2)所在する。
× × × × ○
棺箱の台石の一部が残存する。台石は使用面が比較的平らな10 ~20cm大の砂岩と石灰岩を使用。人骨の残存状態は不良。頭位 は不明だが墓室形状から墓口方位と同軸上と判断される。閉塞方 法は不明。
× × × ○1 × 人骨を伴う蔵骨器が割れた状態で検出された。墓口の閉塞方法は不明。
0.5 ○ ○ × ●17 × 空き墓。墓庭に蔵骨器17点廃棄(人骨無し)。サンミデーと墓口下部は石灰岩を使用しモルタルで仕上げる。
0.38 × × ○ × × 空き墓。墓室壁面の石灰化が顕著。羨道から庭に暗渠を構築。隣
接する4号墓と墓庭を共有する。
0.38 ○ ○
(左) ○ × ×
空き墓。汁ヒラシに棺箱の台石(石灰岩製)を4個配置。台石は奥 壁に対して縦位に隙間なく並べる。隣接する3号墓室と同様に壁 面の石灰化が顕著で、高湿度環境が窺える。サンミデー下部に暗 渠を構築。
0.42 × ○ × △8 ×
埋没墓。墓室天井が崩落する。墓室埋土中から7、8点分の蔵骨器 破片と近代磁器皿・碗等30点余出土。右棚は一部消失。西隣の7 号墓室とつながる。戦時中に避難場所に利用。
0.4 × × × △
10 ×
墓室内は棚上まで埋土で覆われる。隣接する6号墓の墓室とつな がる。墓庭は左右非対称。西隣の8号墓が先に造墓されていた め、西側へ拡張できなかったと考えられる。
0.5 ? × × × ?
棚上まで埋土で覆われる。汁ヒラシ南東隅で人骨1体出土。人骨 は手足が揃えられた(整理された)状態で出土。棚は部分的に掘 削され、右棚の残存状態は不良。墓口前に細長い砂岩ノジュール が露頭しており、サンミデーの縁石に利用した可能性がある。
× × × ○2 × 埋没墓。墓室天井が崩落する。原位置を保つ蔵骨器は2点(胴下部が残る)。蔵骨器片が墓室埋土から大量出土。
× × × ○5 × 埋没墓。墓室形状から本来は一次葬用の造墓と推測されるが、奥壁及び奥壁両側を拡張して蔵骨器を安置する。
× (右)○ × ○13 × 埋没墓。墓口上部が崩落する。蔵骨器の蓋が落下しているものも数点確認されたが、身はほぼ原位置を保持する。
0.2 × (右)○ × ○7 ×
埋没墓。墓口上部の崩落により、墓室内は半分程の高さまで土砂 堆積する。蔵骨器No.3のみ身の底部下に蓋を逆さにして置く。壁 面に刃幅4cmのノミ痕が明瞭に残る。
0.42 × × × ○
9 ×
埋没墓。墓口前は堆積土で埋まり、汁ヒラシも棚の半分程の高さ まで土砂堆積する。蔵骨器9点のうち5点の蓋が落下している。棚 上の蔵骨器2点は、ほぼ半分に割れている。墓庭で埋納土坑を検 出。土坑内から瓶子と小杯が出土。
× × × ○
10 ×
埋没墓。墓口前は堆積土で埋まる。蔵骨器10点のうち4点の蓋が 外れていた。墓庭の堆積土中から閉塞石と推察される石灰岩と砂 岩がまとまって出土。
0.4 × ○ × ●
11 ×
空き墓。墓庭参道側に蔵骨器11点廃棄(人骨無し)。墓庭土坑4基 中2基は葬具品を埋納。脇墓で転用蔵骨器(油甕)が1点出土した が、人骨の残存状態が不良のため判然としない。
0.3 × × × ●
5 ×
墓室内で割れた蔵骨器(人骨無し)が大量出土。コンクリート製の サンミデー、コンクリートブロック石による墓口閉塞は戦後の補修 か。壁面に刃幅4cmのノミ痕が明瞭に残る。
棚高※2
(m)
一次葬 人骨 蔵骨器 有無※3
点数
※1 羨道の長さ ※2 一番棚の高さ
※3 蔵骨器の有無は、○=墓室内で原位置、△=撹乱、●=移転廃棄で区別した。
備考 サンミデー
有無
庭囲い 有無
-1
2-
第2表 出土遺物一覧表第3表 出土遺物一覧表
3 4 7
室 庭 脇1 脇2 庭 土坑 庭 庭 室 庭 室 室 庭 室 庭 室 庭 室 庭 室 庭 室 土坑 室 庭 庭 土坑 脇 室 庭
蓋 1
身 1 1 1 1
蓋 1 1 1 1
身 1 1 1 1
蓋 1 1 1
身 1 1
蓋 1 1
身 1 1
蓋 身
蓋 1 1
身 1 1
蓋 1 1
身 1 1
1 1 1 1 1 1
1 1 1 1 1 1 1 1 1
1 1 1 1 1 1 1
1 1
1
1 1 1
1 1 1 1
1 1
1 1
1 1 1 1 1 1 1
1 1
1 1
1 1 1
1 1
1 1
1 1
1
1 1 1 1 1 1
1 1
1 1
1 1
1 1
11 1 1 1 1 1 1 1 1
1
蔵 骨 器
ボージャー形
転 用 マンガン釉庇付甕形
家形 (陶製) マンガン釉甕形
キ セ ル
雁 首
一体型 (吸口~雁首)
合計 小 碗
ガラス小杯
戦 争 遺 物 陶 質 土 器
瓶
2
小 鉢 皿
1
小計1
鉢
不 明 小 杯
香 炉 蓋
ガラス瓶 陶
磁 器
吸 口 壷
袋 物 水 注
簪 銭 貨
1
9 1 11
酒 注 骨壷 (現代)
6 8
1
家形 (石製)
第3表 墓室平面形の類型4 墓室平面形の類型(浦添市教育委員会2007『市内遺跡発掘調査報告書(1)』を一部改変、加筆修正)( 浦添市教育委員会 2007『市内遺跡発掘調査報告書(1)を一部改変』 )
墓室及び棚の特徴や構築方法
a 楕円またはいびつな形状。
b 直線的な規格性をもって造る。
c
蔵骨器が数点置けるくらいの広さで、墓口から奥壁まで直線的に造る。平面形は縦長の方形となる。 1人(一次葬人骨)を安置する墓として造られる。棺箱は遺構形状と同様に縦置きとなる。
※ 奥壁の片側または両側を拡張して蔵骨器を安置する場合もある。
d 蔵骨器が数点置ける広さで平面形は楕円に近い。 1c同様一次葬人骨を安置する墓として造られる。1cでは棺箱を縦置きするが、1dは横置きになる。
a 正面の奥壁を凸状(=出窓状)に成形。棚幅が汁ヒラシ幅より短くなる。
b 正面奥壁と左右側壁を凸状に成形。
c 正面奥壁と、左右側壁のいずれか片側を凸状に成形。
a
平面形が「コ」字を90度反時計回りに回転した形状。棚は平坦になる。 ※ 左右棚の片側いずれかと正面棚の接地部に段差ができることもある。 ※ 棚の高さの違いで造墓年代が異なる可能性あり。
b 平面形は3類aと同じだが、正面棚と左右棚の接地部に段差ができる。 正面に比べて左右の棚が低くなる。
c 「L」字状 奥壁(正面)と側壁のいずれか片側のみ棚を造る。 平面形は「L」字を90度または180度、時計回りに回転した形状。
a 墓室内が楕円またはいびつな形状で、ほぼ平行するように正面1段の棚を造る。
b 墓室内が直線的な規格で造られ、正面に1段の棚を造る。 ※ 棚の高さの違いで造墓年代が異なる可能性あり。
c 墓室内が直線的な規格で造られ、正面に2~3段の棚を造る。
a 3類a+4類c
b 3類b+4類c
c
「L」字状 + 階 段 状
3類c+4類c
a 3類a+4類b
b 3類b+4類b
c
「L」字状 + 段 状
3類c+4類b
類型
3類
「コ」字状 1類
2類
-
出窓状
墓室平面形と棚の形状
6類
「コ」字状 + 段 状 4類 段状
(階段状)
5類
第4章 調査の成果
調査した墓は前田真知堂B丘陵に所在する 1 ~ 4・6 ~ 11・13・14・17・23・53 号墓の 15 基 で、全て丘陵の基盤砂岩層に横穴を掘って墓室にする掘込墓であった。各墓の立地状況についてみ ると、1・2 号墓は、調査区東側の北斜面の標高 106 ~ 108 mに、2 号墓北側の標高約 105 mには 墓庭を共有する 3・4 号墓が立地していた。調査区中央の北斜面では段を形成していて、標高約 110 mの上段に 21 ~ 23 号墓の 3 基が横並びし、下段には東側の 6 号墓から西側の 16 号墓までの約 30 m間に 12 基の墓が隙間無く横並びしていた。6 号墓は標高 105 m、16 号墓は標高 102 mで、地形 的にみると東から西へ向かってゆるやかに傾斜している。17 号墓は、調査区中央付近の丘陵尾根が 西側に扇状に広がる緩斜面の途中に所在しており、17 号墓の庭囲いと 12 ~ 14 号墓は同一斜面の南 北面に造られていた。
以下で、各墓の調査成果を記述していくが、調査した墓 15 基のうち遺構と遺物の残存状態が比較
的良好な 11 基の墓について報告する。
第1節 1号墓・脇墓 1・脇墓 2
墓は、調査区内の最も東側にあって西側には 2 号墓が隣接している。2 号墓より低い位置に構築さ れていて墓庭の比高差は約 2 mある。調査前の状況は、墓口付近に土砂が堆積し、半分ほど開口し た隙間から墓室内を窺うと汁ヒラシには流入した土が棚の高さまで達していて、蔵骨器等はみられな かった。
墓口前の土砂を除去すると、墓口下部で石灰岩の切石が出土した。切石の形状は正方形で、寸法は 高さと幅が 0.6 m、厚さは 0.15 mを測る。この切石は、出土地点が墓口下部であったことや墓口幅 とほぼ同じ大きさから閉塞石の一部と判断された。墓口の寸法は、幅 0.6 m、高さ 1.25 mで、羨道 の長さは 1.5 mを測る。墓口の方位は、北東(N42°E)を向く。汁ヒラシでは、埋土中から蔵骨器 の破片が大量に出土し、これらを除去すると、ほぼ中央部で一次葬人骨が検出された。人骨は横向き に安置され、頭部は南東(N 126°E)を向いていた。残存状態は良好に思われたが、成人以外の情 報は得られていない。一次葬の時期については、頭部傍のガラス瓶の副葬から近代以降と推察された。 墓室は、棚(L字状)と汁ヒラシで構成され、平面形は歪な隅丸方形を呈しており、墓室平面形の 類型の 3 類cに分類される。寸法は幅 2.8 m、奥行き 2.25 m、高さ 1.9 m、棚の高さは調査した 15 墓の中では最大値となる 0.6 mを測る。
脇墓の規模や形状と遺物の出土状況から、脇墓 1 が一次葬用で、脇墓 2 が改葬後の蔵骨器安置用と して、使い分けしていたことが推察された。脇墓は 2 基とも墓口側の天井が崩落して埋没状態で発 見されており、調査時には閉塞石は確認できなかった。
墓の造営年代を明らかにすることはできなかったが、蔵骨器の銘書の古い年代は「乾隆■年」(乾 隆年間は 1736 ~ 1795 年)で、新しいものは「昭和 5 年」が確認されており、少なくとも 1930 年 までは墓が機能していたことが窺える。
第 6 図 1号墓 平・断面
S=1/80
3m 0
脇墓1
脇墓2 < 墓室横断面図 >
< 平面図 >
<
縦断面見通し図
>
EL=106.800 m
EL=106.800
図版 1 1号墓 1段目左:掘削前の状況 右:墓口の閉塞石
2段目左:脇墓1一次葬人骨 右:脇墓 2 蔵骨器検出状況 3段目左:墓庭検出後 右:汁ヒラシ一次葬人骨
第 7 図 1号墓 一次葬人骨出土状況 ガラス瓶 ―
― 碗
S=1/
0
(蓋)①つまみ ②文様等 ③調整他 (身)①正面示形 ②文様等 ③調整他
1 マンガン釉甕形(身) Ⅴ
30.6 35.6 20.9 57.2
①屋門:アーチ形貼付。
②横帯凹2・凸1・凹3・凹3。肩部:沈線葉 文。胴部:沈線蓮華文。腰部:沈線波状 文。貼付三脚(うち一脚欠損)。底面孔:半 月形15個。
③外面:胴下部ヘラ削り。内面:水挽き。
1 1
女性 男性
成人
熟年 墓室埋土
2
マンガン釉 庇付甕形
(身) 不 明
30.4 32.2 21.2 57.5
①屋門:唐破風形貼付。
②横帯凹2・凸1・無し・凸2。肩部(貼付+ 沈線):龍頭1・獅子頭3・龍・円形・格子。 胴部(貼付+沈線):蓮上の仏と花(正 面)・蓮文(側面~背面)。腰部(貼付+沈 線):花文・格子・不明文様・円形孔11個。 底面孔:円形11個。
③外面:器面全体にナデ調整。内面:水 挽き。
墓室埋土 墓庭
3 ボージャー形(身) Ⅳ 27.4 34.6
①マド枠:平葺形貼付・1方2円。 ②横帯凹3。判有り。
③外面:器面全体にナデ調整、胴下部指 押さえ痕。内面:水挽き。
乾隆■拾三年 戊申■■■■ ■/■■■■… /■■
1788?
墓室埋土 墓庭 3号墓庭
4 マンガン釉甕形(身) ⅣB
35.9 41.2 24.0 64.0
①屋門:唐破風形貼付。
②横帯凹3・凸1・凹4・凹2。肩部:沈線葉 文・鋸歯状文。胴部:沈線蓮華文。屋門 内:貼付円文7個。腰部:沈線波状文2段。 底面孔:円形15個。
③外面:器面全体にナデ調整、胴下部ヘ ラ削り。内面:水挽き。
1 1 1 1
女性 男性 不明 不明
成人 成人 未成人
幼児 脇墓2
5 マンガン釉甕形(身) Ⅳ
21.0 26.3 16.7 37.1
①屋門:アーチ形貼付。
②横帯凹2・凸1・凹3・凹3。肩部:沈線二 重半円文。胴部:沈線蓮華文。胴下部:波 状文。底面孔:半月形6個。
③外面:胴下部ヘラ削り、器面全体にナデ 調整。内面:水挽き。
1 1
不明 不明
幼児 小児 脇墓2
6 マンガン釉甕形(身) ⅣB
35.3 42.0 25.6 64.6
①屋門:唐破風形貼付。
②横帯凹2・凹1・凸4・凹4。肩部:沈線葉 文。胴部:沈線蓮華文。屋門内:沈線蓮華 文の上に法師像貼付。腰部:沈線波状文 2段。底面孔:半月形12個。
③外面:器面全体にナデ調整、胴下部回 転ヘラ削り。内面:水挽き。
1 1
不明 不明
成年
成人 墓室埋土
7
マンガン釉 庇付甕形
(蓋)
32.0 25.5 15.7 11.3
①有孔宝珠・つまみ台1段。
②つまみ台下貼付獅子頭4。体部沈線葉 文。庇下円形孔8個。鍔3.4cm。かえり無 し。
③外面:水挽き後、つまみ台は削り出し、 つまみ下はナデ調整。内面:胴下部に横 位のヘラ削り、水挽き。
大正八年八月 五日死保幸地 大良昭和五年 庚午十月廿八 日洗骨
死去:1919
洗骨:1930 墓室埋土
8 マンガン釉甕形(蓋)
30.5 25.5 19.8 12.3
①有孔宝珠。つまみ台3段。 ②鍔2.4cm。かえり1mm。
③外面:水挽き後、回転横ナデ。内面:水 挽き。
光緒五年卯七 月十二日幸地 妻死去十七年 辛卯三月廿七 日洗■
死去:1879
洗骨:1891 墓室埋土
9 マンガン釉甕形(蓋)
34.0 27.5 16.9 13.4
①有孔宝珠。つまみ台2段。 ②鍔2.6cm。かえり1.5mm。
③外面:水挽き後、つまみ台は回転削り 出し、つまみ下はナデ調整。内面:水挽 き。
光緒二拾一年/ 乙未■五月/廿 八日洗骨/久場 田■/二男…/ 筑登之
洗骨:1895 脇墓2
10 マンガン釉甕形(蓋)
30.0 23.8 18.1 12.5
①有孔宝珠。つまみ台2段。 ②鍔3.0cm。かえり無し。
③外面:水挽き後、回転横ナデ。内面:水 挽き。
コチ■ニシクサ
リン鳥女 墓室埋土
図版3
性別 年齢 銘書
挿図番号 図版番号
観察所見 寸法
(cm) 型 式
第8図 図版2
連
番 名称 銘書年代
出土 地点 被葬者
人数
寸法は、ボージャー形・甕形の蓋が上から外径/内径/器高/体部高、身が上から口径/胴径/底径/器高の計測値である。 家形・御殿形は、蓋が上から縁部(長辺×短辺)/器高、身が上から口縁部(長辺×短辺)/底部(長辺×短辺)/器高の計測値である。
第 8 図 1号墓 蔵骨器
S=1/3 10cm 0
S=1/2 5cm 0
第 9 図 1号墓 出土遺物
S=1/8 30cm
0
4
3 2
1
12 11
6 5
13
図版 2 1号墓 蔵骨器(1) 連
番
挿図番号 図版番号
器種 残存状況
口径 器高 底径
胎土・露胎 部の色調 釉種
施釉 (範囲、方法)
貫 入
観察所見 (成形・調整・施文他)
産地
年代 出土地点
11 ガラス瓶完形 2.2 14.7 4.65
透明 - - - 外底面に波状の凹
み。 不明
1号墓 墓室汁ヒラシ
一次葬人骨 の頭部近く
12 ほぼ完形瓶 2.7 10.3
3.9
白色粒子、 黒色粒子 ・ にぶい橙
褐釉・飴 釉系
内面頚部途中から外 面は高台際まで。高 台内は部分的に施釉 されるが釉剥ぎは無 い。高台をつまんで浸 し掛。
無
胴部に3本の沈線。ケ ズリ高台。高台内中 央部分がやや盛り上 がる。高台内に付着 物。
沖縄産 施釉陶 器
1号墓 脇墓1墓室
堆積土
13 ガラス瓶完形 0.65
5.8 1.2
透明 - - - 薬瓶か。 不明
1号墓 脇墓2墓室
堆積土
14 小杯完形 2.2 2.0 1.6
不明 ・
淡灰褐 透明釉
内底から外面高台際 まで。高台をつまんで 浸し掛。
無
ケズリ高台。高台内中 央部は突起状に盛り 上がる。
沖縄産 施釉陶 器
1号墓 脇墓1墓室
堆積土 単位:cm 括弧内は残存の寸法
第9図 図版4
第5表 1号墓出土遺物の観察一覧表
図版 4 1号墓 出土遺物 図版 3 1号墓 蔵骨器(2)
8
7
9
10
13
12
11 14
7- 銘書 8- 銘書 9- 銘書
第2節 2号墓
墓は、調査区内の東側に位置し、東隣に 1 号墓が所在している。墓の規模や構築方法は 1 号墓と ほぼ同じだが墓庭の標高で比べると 2m 程高い位置に造られている。墓口は開いていて、墓庭には板 状の閉塞石や香炉石、遺骨の入っていない 19 点の蔵骨器が整然と置かれていた。状況から、遺骨の みを移転して蔵骨器が廃棄されたものと判断された。
墓口の寸法は、幅 0.6 m、高さ 0.9 m、羨道の長さは 1.0 mを測り、墓口の方位は北東(N47°E) を向く。墓口の造り方が特徴的で、羨道の片側壁の途中を断面L字形に成形している。このL字部分は、 閉塞石が墓室側へ倒れないようにする「かかり」の役目を果たしている。このタイプの墓口は、基本 的には入口寄りの両側壁や上部壁を断面L字形にすることが確認されており、類例から閉塞石が板状 になる傾向が窺える。また、墓庭側の閉塞石の転倒対策としては、香炉石(押え石兼用で、墓口幅と ほぼ同じ寸法の横幅をもつ)が配置される事が多い。サンミデーと墓口下部には石灰岩の切石が使用 され、モルタルで仕上げている。モルタルは近代以降の補修と推察された。
墓室は、棚(コ字状+1段)と汁ヒラシからなり、類型の 6 類 b に分類される。平面形は正方形で、 幅と奥行きは 2.5m、高さは 1.9 mを測る。墓室内に堆積土が無いことからほぼ造墓時の状態と考え られた。このほか正面 2 番棚と右棚に円形の浅い凹みが 4 箇所確認されている。この凹みの直径が 蔵骨器の底径サイズと推察されたため、蔵骨器を据えるためのものと考えられた。この凹みの構築時 期については、墓室が手狭となり整理が必要となって行った可能性が高いと考えられることから、墓 が機能していた終盤頃と推察された。
墓庭は、寸法が 4.5 m× 4.2 mを測り、入口は北東隅に造られている。基盤砂岩層を利用した土手 状の庭囲いを有し、西側に面した庭囲い部分の途中に用途不明の横穴がある。穴の寸法は幅 0.9 m、 奥行き 0.4 m、高さ 0.5 mを測る。また、墓庭入口近くでは土坑(幅 0.55 m、長さ 1.4 m、深さ 0.1 ~ 0.25 m)が検出されており、土坑内から瓶 2 点と煙管の雁首と吸口が出土した。第 14 図 52 の瓶 と同図 58・59 の煙管はセットで出土し、少し離れた位置から第 14 図 53 の瓶が1点出土した。出 土地点がやや離れており、穴の深さも異なるため、2 基の土坑の可能性も考えられたが、掘形で明確 に分けることはできなかった。
墓の造営年代を明らかにすることはできなかったが、蔵骨器の銘書の古い年代は「嘉慶 18 年(1813 年)」で、新しいものは「1969 年」が確認されており、近年の区画整理に伴う墓移転時まで使用さ れていたものと推察された。
第 10 図 2号墓 平・断面 < 墓室横断面図 >
< 平面図 >
<
縦断面図
>
< 墓庭横断面図 >
EL=109.300 m
EL=109.300
m
EL=109.300 m
S=1/60
図版6 2号墓 1段目左:掘削前の状況 右:墓口 2段目左:検出後 右:庭囲いの不明横穴
第6表 - 1 2号墓蔵骨器の観察一覧表
(蓋)①つまみ ②文様等 ③調整他 (身)①正面示形 ②文様等 ③調整他
1 マンガン釉甕形(蓋)
29.8 24.2 16.9 11.8
①有孔宝珠。つまみ台2段。 ②鍔3.0cm。かえり2mm。
③外面:水挽き後、横位のヘラ削り。内 面:水挽き。
四男高嶺里子親 雲上正行妻同治 拾壱年申十月二 十六日死去光緒 三年丑二月二十 八日洗骨/ 壽二十二
死去:1879
洗骨:1891 墓庭
16 マンガン釉甕形(身) Ⅳ
28.9 34.2 22.6 2.9
①屋門:アーチ形貼付。
②横帯凹2・凸1・凸2・凹3。肩部:沈線葉 文。胴部:沈線蓮葉文。腰部:沈線波状 文2段。底面孔:半月形6個。 ③外面:底部近くまで丁寧なナデ調整、 斜位ヘラ削り。内面:水挽き。
四男高嶺里子親 上正行妻壽二十 二同治拾壱年申
光緒三年丑二月 二十八日洗骨
死去:1879
洗骨:1891 墓庭
17 マンガン釉甕形(身) Ⅲ
27.3 34.1 23.0 .7
①屋門:位牌形貼付。屋門内露胎。 ②横帯凹2・凸1・凸3・凸3。肩部:沈線鋸 歯文(一部分)。胴部:貼付蓮華文+沈 線茎文。腰部:沈線波状文1段。底面 孔:半月形6個。
③外面:器面全体にナデ調整、胴下部 にヘラ削り、内面:水挽き。
墓庭
18 マンガン釉甕形(身) ⅣB
3 .3 42.4 23.2 63.6
①屋門:唐破風形貼付。
②横帯凹2・凸1・凸3・凹3。肩部:沈線葉 文。胴部:沈線蓮華文。腰部:沈線波状 文2段。底面孔:円形16個。
③外面:器面全体にナデ調整、胴下部 ヘラ削り。内面:水挽き。
墓庭
19 マンガン釉甕形(身) Ⅳ
29.9 34.9 20.7 .7
①屋門:アーチ形貼付。
②横帯凹2・凹1・凸3・凹4。肩部:沈線葉 文。胴部:沈線蓮華文。屋門内:貼付蓮 華上に仏、腰部:沈線波状文2段。底面 孔:三日月形9個。
③外面:器面全体にナデ調整、胴下部 ヘラ削り。内面:水挽き。
墓庭
20 マンガン釉甕形(身) ⅣB
33.0 40.2 22.4 61.2
①屋門:唐破風形貼付。
②横帯凹3・凸1・凸3・凹3。肩部:沈線葉 文。胴部:沈線蓮華文。腰部:沈線波状 文2段。底面孔:半月形14個。口縁内面 に「○+」の墨書。
③外面:器面全体にナデ調整、胴下部 ヘラ削り。内面:水挽き。
墓庭
21 マンガン釉甕形(身) Ⅳ
30.3 37.1 19.0 6.7
①屋門:アーチ形貼付。屋門内露胎。 ②横帯凹2・凸1・凸2・凹3。肩部:沈線葉 文。胴部:沈線蓮華文。腰部:沈線波状 文2段。底面孔:半月形6個。 ③外面:器面全体にナデ調整、胴下部 回転横ナデ。内面:水挽き。
墓庭
22 マンガン釉甕形(身)
Ⅴ 以降
19.1 24.0 1 .8 39.6
①屋門:アーチ形沈線。
②横帯凹2・凹1・凹3・凹3。肩部:沈線葉 文。胴部:沈線蓮葉文。胴下部:沈線波 状文2段。底面孔:円形8個、雑な穿孔で 空いていない孔が3個ある。
③外面:水挽き後、横と斜位のナデ調 整、胴下部回転ヘラ削り。内面:水挽 き。
墓庭 観察所見
挿図番号 図版番号
寸法 (cm) 連
番 名称
型 式
出土 地点 被葬者
人数 性別 年齢 銘書
第11図 図版7
銘書年代